歴史
自動車メーカー時代
ランサム・イーライ・オールズと「オールズ・パイレーツ」(1896年)ランサム・E・オールズは、『オールズ・モーター・ビークル・カンパニー』(Olds Motor Vehicle Company, Inc., )を1897年ミシガン州ランシングに創立、四輪自動車の生産を開始。オールズモビルが誕生した。この年すでに4人乗りを作っていた。
1899年にサミュエル・スミスにより会社が買収され、『オールズ・ガソリン・エンジン・ワークス』(Olds Gasoline Engine Works)と合併し、『オールズ・モーター・ワークス』(Olds Motor Works)となる。会社はデトロイトに移り、スミスが社長となり、オールズは副社長兼事業部長となる。ここにアメリカ初の自動車専用工場がデトロイトに誕生する。
1901年にオールズは、ダッシュボードが美しいカーブを描いている『カーブドダッシュ』オールズモビルの生産を始める。同年、アセンブリーライン利用による初の大量生産を始める。(2番目はランブラー、3番目はフォードが初期のA型で行なう。フォードはのちにベルトコンベアを使用してこの行程の効率をあげT型を生産する。)
スミスとたびたび意見が違っていたオールズは1904年に社を離れ、ミシガン州ランシングに『REオールズ・モーター・カー・カンパニー』(R.E. Olds Motor Car Company)を設立するが、オールズ・モーター・ワークスの訴追を恐れ、社名を『REOモーター・カンパニー』と変更した。オールズはここで社長となり、自動車の開発生産をつづけた。
自動車ブランド時代
- GM傘下に
ビリー・デュラントを中心として現在のGMの前身となるゼネラル・モーター・カンパニーが1908年9月16日に創立され、同時に1903年創業のビュイックを傘下とした。オールズ・モーター・ワークスは1908年11月12日にGMに売却されGMの2番目の自動車会社となった。尚。ランサム・E・オールズ自身は当時、既にオールズモビルを離れて、REO社の経営をしていた。 - デュラントの元では買収されたそれぞれの自動車会社は、従来どおりにちかい独自の開発がおこなえていたが、フォードT型によりアメリカの自動車市場が席巻された。最初の経営危機の際、会社を去ったデュラントはルイ・シボレーと組み、大衆向けブランドであるシボレーの生産を開始した。
- フォードT型よりもパワーがあり、デザインの良いこの車は大ヒットし株価が高騰した折に、GM株との株式交換にてGM株の過半数を取得し、デュラントが再びGMに返り咲くことになった。ところが、既に時代は変わっており、拡大一辺倒の彼のやる事は裏目に出ることが多く、同時に多くの有能な人材(ナッシュ、リンカーン、クライスラーは、その時会社を去った人によって創業されたことからも、その損失の大きさが分かる)を失い、再び経営が悪化した。
- 中級ブランド
そしてデュポン傘下に入り、GMに買収されたベアリング会社出身のアルフレッド・スローンが社長となった1920年代以降、はGM流ブランド・マーケティングに組み込まれ、階層型のブランド構造として統一され従来のオールズモビルとしての特色は薄れていった。 - GM傘下のブランドとしては、スポーティーさを前面に出したポンティアックと、上級ブランドであるビュイックの間に位置する保守的な中級ブランドとされ、フルサイズからミドルサイズの車となった。
- 「走る実験室」
その後の1940年代から1960年代のアメリカ車の黄金期にかけては、ビュイックやポンティアックと共通のシャシーやエンジンを多用しつつも、デザイン的にも機能的にもGMの中でも試験的な要素を積極に取り入れ、「走る実験室」と言われるほどに、新技術を最初に搭載するブランドとしても知られていくようになった。 - 1939年には全自動変速機「ハイドラマチック」を世界で初めてオプション装備し、1949年モデルはGM中級車の中でいち早く大出力V型8気筒エンジンを導入、1960年代初頭にはターボチャージャー装備モデルを導入するなど、先進性ではGM社内においてキャデラックと並ぶものがあった。
- その頂点と言えるのが、1966年に発売された「トロネード」で、第二次世界大戦後のアメリカ車としては初の、そして当時の大型市販車としては世界で唯一のFF車であった。5メートル50センチを超える全長にリトラクタブル・ライトを採用したその特異なデザインとともに、オールズモビルの先進性を象徴するモデルとして脚光を浴びた。
- また、1970年代のオイルショック後には、GMの大型車として最初のディーゼルエンジンが量販車種の「88」などに投入され、その性能の高さが高い評価を受けた。
- 低迷
しかし、オイルショック後の小型化と、コスト削減に伴うバッジエンジニアリング化の波の中でその先進性を生かすことができず、1980年代以降はビュイックのバッジエンジニアリング版の様な保守的なモデルが多く、存在意義が薄れそれとともに販売は低迷していくようになった上、顧客の平均年齢層の上昇という課題も抱えるようになった。 - しかしそのような中でも、「カトラス・シエラ」の様な堅実なデザインを持つ中型セダンがブランド全体の販売台数を支えた他、空力的なデザインを採用した「カトラス・シュープリーム・クーペ」や「オーロラ」、同じく空力的なデザインを採用したミニバンの「シルエット」のような意欲的なデザインで気を吐いていた。
- さらに1980年代中盤からは、アメリカのモータースポーツの中でも最も高い人気を誇る「NASCAR」に、「カトラス・シュープリーム・クーペ」で参戦するなど、先進イメージのアピールと若年層の顧客の取り組みを行った。
- 終焉
アメリカでもっとも長い歴史を誇る自動車ブランドであり(1896年設立)、中高年齢層の保守層を中心に一定の支持層を確保していたものの、GM内においてのブランドの差別化(特にユーザー層が重なるビュイックと)が明確でないことや、日本車をはじめとする輸入車や1990年代に登場した「サターン」のような若いファミリー層や若年層の支持を受けられなかったことから、長期に渡り販売台数が低迷していた。 - 「ブラバダ」の様なSUVを導入するなど様々なテコ入れが行われたものの。その後も販売の低迷には歯止めがかからず、その結果、2000年に発表されたGMの大規模リストラ計画に基づき段階的に縮小、2004年に消滅し一部の車種はビュイックに移転させ107年の幕を閉じた。